◆海軍士官である前に紳士たれ!◆
海軍士官である前に紳士であれの教え
「海軍士官の前に紳士たれ」という教えは防衛大学校時代も江田島の幹部候補生学校時代にも良く教育されました。
この教えが生まれたのは明治政府が新たに日本海軍を建設し、士官養成の海軍兵学寮(後の海軍兵学校)の教育体系を整備する過程でイギリス海軍顧問団により指導されたのが始まりです。
イギリスの海軍顧問団はアーチボルド・ルシアス・ダグラス少佐はじめ総勢34名で、明治6年7月27日に海軍兵学寮に到着しました。
このイギリス海軍顧問団来日を契機として海軍兵学療の教育は一新され、ダグラスは母国イギリスのパブリック・スクール(上流家庭の子弟を教育する全寮制の私立中・高等学校で、イートン校がもっとも有名)や、
ダートマス海軍兵学校で体得した「躾・マナー」を日本海軍に取り入れようとしました。
その第一は「紳士たれ」であり、ここに海軍士官である前に、紳士であれというイギリス流の紳士教育が始まったと言われています。
海軍兵学校は大東亜戦争終戦の昭和20年8月に廃校となりましたが、後に創設された江田島の幹部候補生学校にもその教育精神は受け継がれております。
また、この教えは戦後8年後に創設された防衛大学校に引き継がれました。
防衛大学校の初代槙智雄校長はイートン校からケンブリッジ大学に学んだ体験や井上成美海軍兵学校校長の進言を受けて、「立派な自衛官は立派な社会人でなければならない」として引き継がれたと言われています。
過去に米海軍士官候補生と町工場の女性の恋愛物語の映画「愛と青春の旅立ち」がありました。
原題は「an officer and a gentleman」であり、まさに「海軍士官であるまえに紳士たれ」という題名です。
アナポリス海軍兵学校にもその精神は継承されており、ジョン・ポール・ジョーンズ提督の教えとして以下の教えが残っております。
It is by no means enough that an officer of the Navy should be a capable mariner ・・・
He should be as well a gentleman of liberal education, refined manners,
punctilious courtesy, and the nicest sense of personal honor.
John Paul Jones
明治政府が海軍を建設する際に最も重視したのは人材の養成です。
このことは、海軍兵学寮の初代兵学頭(校長)の川村純義大丞(大佐)が回想談で次のように述べておられます。
「確か明治4年でした。大政官でもしきりに海軍を拡張したい、ことに天皇陛下の篤い思し召しもありました。わたくしはこの時に「軍艦は金さえあればいつでも買い得られまするが、人物はそう一概にはできません。
ゆえに海軍士官の養成を先にし、いつでも数艘の軍艦を指揮操縦する人物を養成しておきたい。陸軍の方は昔の士族でも事が足りえようが、海軍は古来船乗りと称して常に世人に軽蔑されていますから、海軍士官の養成は目下の急務でありましょう」。
また、海軍の拡張も、なかなか一朝一夕には行われうるものではありませぬ。学校を巣立って5年、実地研究が10年、都合15年を期してやや見るべき海軍になりましょう』と申し上げておいたが、これからちょうど23年目に日清戦争になりました」。
また、明治天皇は明治7年1月9日の海軍事始めの式典で、ダグラス少佐らに「朕いま汝に偶会し、汝ら来国以来当学寮の教授にもっとも勉励せしを満足す。
なお、汝の尽力によりて海軍の一大進歩を得るを望む」との勅語を賜っていることからも、海軍が生徒教育にいかに大きな関心を持っていたかが理解できます。
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